大久野島
明治中期の日清戦争時島の3箇所に砲台が設置されますが軍縮の時代に撤去されその後は数世帯が住む自然豊かな過疎の小島でした。
1927年(昭和2年)再び軍用地となり住民は島外へ移住、一般人は立ち入り禁止となり毒ガス島の歴史が始まります。
不景気のどん底の当時極秘に行われた毒ガスの製造を知らない住民たちは国の軍事上用地が地元にあることを歓迎したそうです。
今でも島内には多くの戦争遺産が残っています。
発電場跡
モダニズム建築です。
内部の柱無しの大空間が窓からちらりと伺えます。
立ち入り禁止です。
yumily
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